今回は「心のバランス」と「社会」をテーマに、何故私がNPOという形態を選んだのかを交え、お話しをさせて頂きたいと思います。
前回、私は自身のこれまで生きた時代背景をみながら「意思」×「能力」=「自分を信じる力」という方程式を立て、運動力学の身体動作の簡素な説明を用い「内力」を「意思」、「外力」を通した「能力」としながら結果として生じる身体動作を「心体動作」と捉え、人生は自分を信じるか恐れ欺くかの「内力」と「外力」の結果として培われる「能力」の影響力学で「自分を信じる力」とは人生の最大の目標かつ土台であるとお話しさせて頂きました。
※運動力学の身体動作の簡素な説明
身体動作は内側から生み出したり制御したり変更したりする「内力」と外部から作用する重力・摩擦・空気抵抗・負荷などの「外力」の結果として生じる
そして、自分自身の「能力」では処理不可能な「外力」特に幼少期の環境要因は大きな比重を占め、トラウマが残れば「自分を信じる」事が難儀な場合もあるだろう。私達は「自分を信じる力」を手に入れる為の社会環境こそを整え守るべきで、その環境の土台とは「身体と心のバランス」を獲得し維持できる社会であり、その様な社会へと変化させる必要性を謳い問題提起させて頂きました。
なぜなら格差や貧困を自己責任とすれば「自分を信じる力」は遠のくとからだと感じるからです。
「心」を別の言い方で捉えてみると
自覚
個人の主体性
内省
メンタリティ
解釈力
「社会」とは
コミュニティ
共同体
自治体
国家
民主主義
資本主義
個人の「心」と「社会」の問題をどの様に結び付け乗り越えるかはとても大きな問題です。そして「心」の問題を考える時「社会」を抜きに考える事は出来ません。特にまだ「充実していない社会機能」を考えなければ「心の問題」を解決する事は決して出来ないであろうと考えます。
現在、認知症は心の問題と内臓機能低下の双方の問題が示唆され、アルツハイマー型認知症が初めて報告されたのが1906年。産業革命以降約150年後で現在から120年前の事になります。認知症は近現代からの病で社会とそこで働く様々な方々の「心体問題」といってよいでしょう。
最近では日本でも心理カウンセリングや心のケア
アンガーマネージメント
コーチング
マインドセット
セルフケア等も身近になり、それだけ「心」が重視される時代になったといえます。しかし単に心のケア・カウンセリングを受け、ひと時の安堵を得ても「充実してない社会機能」にまた放り出されるのであればそれは何の為のケアなのでしょうか?単にこの社会の持続の為のケアなのか?それは心の立場ではないケアではないでしょうか。
「NPO」
NPOとはざっくり存在意義を説明すると、そこにある課題に対し当事者が何らかの理由で対価を支払う能力がない・低い等の場合に登場します。
一例ですが健康維持であれば、まず食べる事、そして明日働く為の休息の場が何より優先順位が高いのはお分かりだと思います。その先の健康寿命に対価を支払う余裕がない場合など行政が広く参加希望者募り、その分野に特化したNPOが良心的な値段で請負います。端的に言えばまだ「充実していない社会機能」に対応するのがNPOといえます。
しかし何故NPOはその様な事をわざわざするのでしょうか?
この貨幣ファーストの資本主義において。
その答えは「心」×「社会」に深く関係していると私は考えています。
社会には沢山のありがとうがありますが、単に軽妙なありがとうが溢れています。全てを商品化しようとする傾向、全てを効率化にする事への重視、より売れるかどうかという価値観。また今の社会は「考える(構想する)」と「働く(実行する)」が分離した状態で私達はマニュアルさえがあれば自分である必要のない、誰でも働ける社会の中にいます。それはメリットでもありますが人を交換可能なモノとしてみた社会ともいえるのです。
私達は本当の「ありがとう」に触れているのでしょうか?
本当の「ありがとう」なんかいらないよ。という声も聞こえてきそうですが、人は生まれながらに善悪を理解しています。子供を虐待する事は悪。高齢者に親切に接する事は善。人は何が善で何が悪かを生まれながらに既に知っているのです。
しかし残念ながら「心」と「社会」を秤にかけた時、常に社会の合理性に傾き、心を軽視しがちです。
これでは社会的フレンドリーは生まれません。
「豊かさを巡る価値観の転換」
豊かさとは何か?「社会」の観点では、誰かに見ていてもらえる事、認めてもらえる事、私は孤独ではないと感じられる事です。「心」の観点では、常に自分の物差しを見つめ改良し問い続ける事です。
考え実行し継続し成功し失敗し、他者や物事の背景を理解する相手を知らなければ配慮する事は出来ません。互いに「心」」を通わせられる「社会」が「心のバランス」を生み出します。
「社会的フレンドリー」の構築
言い訳をせず
ごまかさず
正当化せず
開き直らず
あきらめず 一歩ずつ前進する
東に病気の子供あれば
西に疲れた母あれば
南に死にそうな人あれば
北に喧嘩や訴訟があれば
考え対話しその当事者の為に働く
一人一人がまだ充実していない社会機能を少しずつ支えあう 本当のありがとうを伝えあう フレンドリーな社会を作る
そういうものに
わたしはなりたい
一緒に活動しませんか?
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