私達には既に失われつつある「身体能力」がある。それは「頭方位細胞」という海馬の主な機能の1つで、東西南北の方角を認識する能力だ。
狩猟民族においてこの能力がなければ生きてはいけないだろうが、現代の都市部に住む人は、東は太陽が昇る、西は沈む方角だと認識はあるものの、さて現在地からどっちが東、西だろうか?アウトドアが好きな方はともかく、生活において優先順位は低く分からなくても特段問題はない。
そして、この能力はもう数十年経つと失われるとも言われている。
「感覚・身体・認知」
感覚から情報がインプットされる。
経験を通じた集合知、認知。
経験とは身体のアウトプット、能動的な活動の結果だ。まずは五感を整理してみよう。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚
視覚
視空間認知(立体・平面・前後・大小)
平衡感覚(バランス・姿勢)
触覚
体制感覚
皮膚感覚(温度感覚・温熱的快・不快感覚)圧覚・痛覚
深部感覚(筋肉・関節等の受容器より得られる感覚)
などなど
*感覚は頭頂葉の一次体性感覚野と海馬が連動し、空間把握、距離感、場所、順路、物事の手順・プロセスを記憶していく。
農耕民族の歴史は種まきから収穫までの基本的な助け合いのルールから始まり、配分、継承、それを巡る紛争、解決の為に言葉や法律が発達した。
現代はよりシステム化されムリ・ムダ・ムラを削除し、メリットを説明出来ないものに価値を置かない傾向にある。そして人間の「感覚」的要素は軽視される。
自己責任 自己正当化 自己愛
感覚は内向きになり、その自覚は強固な自己防衛という壁を作る。
現代の技術革新、テックが加わり私達は全てを経験し「認知」しているかの様に振舞う事が出来る。あたかも強固で人間の「弱さ」など忘れてしまう、それがシステムやテックだ。
真実ではないフィクションの世界に人間は閉ざされ「身体性」を忘れてしまう可能性がある。
「私達は弱さを認識しているか」
現代における人間の「弱さ」を認識できる体験とは?
人間社会の不条理さ
社会構造の機能しなさ
いじめ
パワハラ
コミュニティの負の側面がそうだ。
更に自然の中ではより自分の小ささ、弱さに気づく。
都市部の安心・安全・快適さは人間の弱さを忘れさせ「身体性」の弱さを助長する。これは現代の複雑さ・不条理に対し生きる力の減退に繋がっていると言える。
「多様性」とは単に個人の尊重なのか?違う、「多様な弱さを補え敢えるか」だ。
「人間は記憶する動物」
農耕民族の歴史は、共同が結果的に損得勘定を生み出すが「助け合う」という基本的なルールも生み出した。
助け合いの感覚は「感情」と深く結びつき、鮮明に記憶される。
「弱さ」の再認識
それが「身体性」を取り戻すきっかけとなる。自分という宇宙と繋がる事で感覚を研ぎ澄まし生きる力を取り戻す。
途方もなく長く歩く 弱さに立ち戻る 歩調があい 歩幅があい 息があう 同じ世界に入っていく 支え合う
もっと親しくなる可能性が増す
この世界は私達の知覚や行為をうながす契機をつねに内包している
身体性と感受性 アフォーダンス
そこに何を感じる
向こう側に何が見える
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